この地球の暮らし方

見た目はおとな、中身はこども。本当はプロスノーボーダーになりたい臨床心理士。

理論武装をやめたらどうなる?

私は臨床心理士の資格を持っていて、児童福祉の心理職として働いている。

 

小さい頃から、自分はなんか人と違う、というか小さなマイノリティー感を持ちながら生きてきた。小さな失敗や傷つき、うまくいかなさ、人と同じようにできないみたい体験はいっぱいあり、深い劣等感を抱えている人間である。

 

これまで、自分や他人のことを理解できれば、少しは生きやすくなると思って、心理学を学び始めた。

 

とくに、社会でなんとかうまくやっていくための処世術はいっぱい獲得した。

 

こんな時どう言えば相手が怒らず聞いてくれるかとか。

相手に気分良くいてもらうために、今はこれを言った方がいいかなとか。

そういう社会に適応するスキルばかり。

 

思えばいっぱい理論武装してきたなと思う。

私は自然に人と感じの良いコミュニケーション取れるわけじゃないから、どうしても頭で考えてやろうとしてしまう。それがしみつき過ぎて今では反射的にやってしまう。

 

自分の中ではかなりぎこちなく、擬態してる感じがかなり強い。自分ではない違う誰かに成り切って生きている時間が長い。聞くと他人にはあまりバレていないらしいが。

 

 

でも、この心理学による理論武装は、はたして私が心の底からやりたかったことなのか?

 

職場の人との何気ない会話の中で、私は「心理学が好き」と言ったけど、その後しばらくもやもやが残った。

 

違う。私は心理学が好きなんじゃない。

 

ただ、社会でうまくやるには、自分を抑圧して生きるしかなかったから、そこから自分を救いたくて、その答えを心理学に求めただけだ。

 

私がただ私として生きられるのなら、別に私の人生に心理学は必要なかった。

 

そして、私は今、心理学を学ぶあまり、また私じゃなくなった。

心理学を学ぶあまり、それしか仕事にできなかったから、心理学を仕事にしてしまった。

本当は、知能検査も発達検査もその他の心理検査ももうやりたくない。結局、まだまだ競争社会、他人との比較、優劣で成立しているこの世界。IQというものの本質をきちんと理解して扱える人なんてごくわずかしかいないのだから。

 

これまで私が学んできたものは、自分を守るためのもの。今いる職場で何とか働き続けるためのこと。

でも同時に、それは学んでいない(無知な)人に対する嫌悪や敵意を強めてしまった。何も知らんやつが人に依存してのうのうと生きてんなや、みたいな気持ちが芽生えてしまった。

 

もうこの理論武装、私には必要ないかも。

私がこれから生きていきたい世界線、伸び伸びと生きていく上で、心理学ってもう必要ないんじゃないかな、と思う。

本当はずっと、もうこの仕事やりたくない。もう頑張りたくない。

仕事で嫌なことがあった。

もともと仕事には何の熱意もないし、毎日やめたいと思っていたけど、安定した収入のため、働かないといけないから続けてきたみたいな感じだ。

どうせやるなら、自分なりの意味や動機を見出しておかないとしんどいからと思って、いろいろ考えながらやっていたのだが、それが周囲から見るとやる気がある人間のように見えていたようで、組織の中ではそれなりに評価された。

 

周囲を騙しているようでそれもまたしんどかったが、大きなやらかしも起こさずきていたので、まあこのままやっていくか、くらいに思っていた。

 

新卒で就職して10年。今それがついに限界を迎えようとしている。

最近になって、自分なりに気を利かせて手をかけたり頑張ったつもりのことがなんか裏目に出るようになった。自分のやったことでクレームを言われたり、指摘されることが増えてきた。

 

頑張りが空回りして、あげく自分のしたことで迷惑をかけてしまったかもしれない。自分自身で余計に仕事を増やしているみたいだ。

 

正直、全然仕事が回ってない。ミスも頻発している。うまくいっていない。

 

本当は頑張りたいなんて微塵も思っていないこの仕事を、なぜこんなにも頑張ってしまっているのか。しかもそれがうまくいっていない。それにもとても虚しい思いがするし、頑張っていることでクレームを言われるととても傷つき、悲しい気持ちになった。

私はとても傷つきやすく繊細な人間だ。とても生きにくい。

 

私は何をやっているのだろう。「人間」に擬態することに疲れてしまった。私は本当はそんな立派に社会人を続けられるほどの人間じゃない。

中身はすごく幼稚で、自分のやりたいことしかやりたくない。

 

本当は、私はプロのスノーボーダーになりたい。

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脳のタイプ(私の場合)

私はとにかく精神(思考)活動が活発で、黙っていても頭の中は常に忙しく、ひっきりなしにいろんなことを考えているし、外から入ってくるいろんな刺激にいちいち気を取られたりしている。


たまに、どんどんアイデアや言葉が湧いてくるので、すごく生産的になったかのように思うことがあるが、それは多分勘違いである。
ということは、長年の経験から理解している。

むしろ、思考が回転し過ぎていて、この後盛大に脳疲労を起こすことが目に見えている。
できれば、それを阻止したい。


が、こういう時は、自分で止めようと思っても止まらないので、たいてい寝不足になる。


もう自然と疲れて寝落ちするのを待つしかない。


以前は、一刻も早く思考の回転を止めて寝なければ、などと躍起になっていたが、最近はもうそういう不毛な努力はやめることにした。


自分で止めようと思わなくても、時期が来ればそのうち勝手に止まるからである。


そうこうしているうちに今度は、頭の中にモヤがかかったように何も考えが浮かばない、考える気力もない、思考が停止したまま動かない、早く家に帰りたい、みたいなモードに入る。

脳の覚醒水準が低下していて、いわゆる睡眠時に近い状態になっていると思われる。

この状態を「ブレインフォグ」と呼ぶらしい。
これはこれで大変である。


かいつまんで言うと、私の脳は常にこの2つのモードを行き来している。
全力で走って、疲れて倒れ込んで一歩も動けなくなる、という行為を繰り返している感じである。


正直疲れる。
もう少しバランス良くやればいいのに、こんなことをしているから私の脳はいつもヘトヘトなのだろう。

 

だが、これは私の持って生まれた脳のタイプだと自認しているゆえ、無理に変えようとは思っていない。


それどころか、なんだかいつも頑張っていて、憎めないやつである、私の脳。
何となく愛おしいと思っている。

 

上手に脳を休めることが不可欠である。

仕事を辞めた過ぎるモードってもしかして無敵では

私はお金がほしいから仕事をしている。

「安定した収入を得るため 」というのが今の仕事についた一番の理由である。


自分のことが知りたくて始めた心理学だが、当時は心理学で食べていけるほど甘くはないと言われた時代であったし、周りの大人たちからも、狭き門だから他に安パイな資格を取っておけ、と渾々と言って聞かされていた。

それでも私は、昔から自分について深く考えることにとても興味があったし、自分の内面や経験を言語化し、知恵として蓄えていくためには、相応の学問が必要である、と考えていた。

私にとって、それが心理学であった。

そして当時、臨床心理士という資格の存在を知った私は、「何となくカッコ良さそう」という安直な理由から、その道に進むことにした。


昔から役立ち感(誰かのためになりたい)のような感覚に乏しかった私は、臨床心理士になることで対人援助に携わりたいとか、カウンセリングをしたいとか、そういう意識は全くなかった。

安定した収入を得られるなら、別に臨床心理士でなくてもよかったのだが、他にできることもなかったし、結局私はその臨床心理士として就職し、生計を立てることを選んだ。


そういうわけで、私は今の仕事に大した情熱を持っていない。

もしお金の心配がないなら、ずっと家でゴロゴロしていたいし、自己世界に閉じこもって空想で遊んでいたいのである。
家が大好きである。


だからこうやって定期的に仕事を辞めたくなる。
バイオリズムや気候に左右されているようにも思う。
今がまさにそれである。

 

そんな仕事辞めた過ぎるモードで迎えた今日。

今日はいつもの30%の頑張りしかしない。省エネモードで行くと決めていた。

もう心の体力はほとんど残っていなかった。


が、仕事に行ってみると何とも意外なことに気がついた。

もともと私の脳は刺激の取捨選択が苦手で、いつもであれば周囲の刺激(とくに他者の感情表出)が無差別に侵襲してくるために、それらを処理するのに膨大なエネルギーを要する。

相手の感情と自分の感情を頭の中で意識的に分離する努力をしないと、容易に巻き込まれてしまう。

ゆえに、人と会うこと、話すことは私をひどく消耗させるのである。

でも、今日みたいに、もう今にも仕事を辞めた過ぎるくらい不調な時ほど、他者に共感している余裕がないためか、いつもに比べ共感性が低下し、必要以上に他者の感情をこちらの内面に入れ込みにくくなっている。

外界からのバリアに守られて、相手の感情と自分の感情との間に一定の隔たりがある、みたいな感覚だろうか。

これはいい。
かなり疲れにくいみたいである。


仕事を辞めた過ぎるモードの私ってもしかしたら無敵かもしれない、と思った。

 

 

仕事に情熱を持っている人も、そうでない人もどちらも尊い
そして私は後者の人間である。

 

お金は労働の最高の動機である。


以前読んだ本にそう書かれていた。
私もそう思う。

漠然とした不調からの抜け道

調子の悪い日だった。

承認欲求が強く、自己がパンパンに肥大化した隣人に、私は強い怒りを感じていた。

怒りで体力が消耗されていく。これでは脳にもひどいダメージである。なんと不毛なことか。分かっている。非生産的だとは分かっているのだが、どうにもはらわたが煮え繰り返るようでならなかった。

私がここまで強く怒るのはなぜか。

人間は、自分が普段頑張ってやらないように気をつけていることを、他人が平気でやってのけるのを見るとひどく腹が立つ、というのをどこかで聞いたことがあるが、それは多分真実である。


読書も、動画も、人との交流も、今の私を癒すことはできないと感じた。

どんな不毛な怒りも、どんな気分の落ち込みも不調も、いずれはきっと回復する。それを待つのもいいだろう。きっと大丈夫である。


ところで私には今、明確にやりたいことがある。

ピアノを弾くことと、海を見に行くことである。

考えただけでわくわくする。楽しそうである。

こんな不毛な怒りでパンパンに腫れ上がった精神を、癒し、治癒することができるのではないかと思っている。

だが、実は今ピアノを持っていない。十数年前に手放して以来、長らく弾いていない。

来週電子ピアノを見に行く予定である。

多分もう楽譜も読めない。人は経験しなくなると忘却が早いのだ。ピアノを買って、楽譜を解読するところからやり始めねばならないが、それもまた楽しそうである。



これが初めてのブログ投稿である。不器用なテキストではあるが、これが今日書ける最善だろう。それでいい。今は行動を起こすことに、書くことそのものに価値があると思っている。

言語化も癒しであり、治癒である。


               ☆*:・*:..o .。🐟🐟